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COLUMN

コラム

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2023/12/07

最後に【コラム】

このたび、ニューロダイバーシティについてのコラムを担当する、長谷川祐子と申します。 このコラムでは、私自身が幼少期から学生時代を経て社会人になり、企業における障がい者の雇用問題の当事者になり、それを元にライターとして記事を書くようになるなど、発達障がいと社会のつながりについて感じてきたことをつづっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

私はニューロダイバーシティについて「雇用の最前線」「当事者の声」「歴史」「社会モデル」「イベント」といった様々な切り口でコラムを書いてきました。ですが、いずれにも根底に流れているのは、「当事者を置き去りにしない」という思いです。

私なりの解釈ですが、ニューロダイバーシティの当事者運動に流れる思いは、「私は発達障害と診断された。でも何もかもが劣っているわけではない。ある特性が強みになることもある。それで世の中を変えることだってできる」というものです。

また歴史的に、障がい者の権利擁護運動は、「私たちのことを私たちぬきで決めないで」を合言葉に展開されてきました。発達障がいの人の権利擁護でもこの考え方を忘れずにいたいです。

ニューロダイバーシティについて、日本の競争力強化に向けて期待の声が高まる一方で、本当にうまくいくのか懸念する声も色々と聞きます。

私は、世の中の「ニューロダイバーシティ」とうたわれたプログラムが、当事者を置き去りにしたやり方になれば、長期的には支持は得られず、人を巻き込むほどの力は持たず、持続的にならない、と考えます。

当事者を置き去りにしたやり方のいい例が、表面的にきれいごとを述べながら本音ベースでは障害者雇用率達成の必要性から行う雇用です。合理的配慮についても、当事者の声を軽視して上位者の主観で「ここまでなら配慮する、ここから先は自助努力すべき」と一方的に判断したりすることがあります。

持続的でないプログラムは、環境の変化や経営悪化などの外的要因があれば、あっけなく失われてしまうでしょう。

そうならないためにも、発達障がいに関する情報を集める際には、当事者である人やその分野の信頼できる情報源・専門家からの情報提供を積極的に取り入れることが大事です。雇用や教育に関わる人には、常に自分のやり方は正しいのか、力のある側(多数派)視点に偏っていないか、当事者にぜひ聞いてください。何かの取り組みを新たに始める時はもちろん、軌道に乗るようになった後も、当事者との対話を続けてください。

それによって、立場の弱い人のバックグラウンドやアイデンティティも正確に反映し、差別やハラスメント、極端な生産性を説く雇用・教育とは異なる形の雇用・教育ができるようになるのではないでしょうか。

また、発達障がいの理解以前に、組織のガバナンスが効くことが大切だと感じることもあります。建設的対話が成り立たなくなり、訴訟にまで発展していったケースを見ていくと、背景や原因に組織のガバナンスの問題(コンプライアンス・人権・社会的責任の軽視)があるのが見えたことがありました。訴える側からすれば、エネルギーを奪われるくらい耳を傾けてくれていない、事実を都合よくねじ曲げた言い分を繰り返すという相手だからこそ訴訟もやむなし、という実態は往々にしてあります。ガバナンスが効いていない組織では、自浄作用が働きません。仮に一部の人物が発達障がいに理解的であっても、より力関係で優位な人物が無理解な発言を繰り返しており、それを誰も諌めることができなければ、ニューロダイバーシティの実現はないでしょう。「障害者問題の訴訟」に対する誤解や偏見(「行き過ぎた権利主張」「怖い」など)も、その特性のある人と共に生きる意識を逆行させることにつながりかねず、変えていかなければ、と考えています。

ハーバードビジネスレビューの論文「ニューロダイバーシティ:脳の多様性が競争力を生む」では、アメリカの大手企業で行われてきたニューロダイバーシティ雇用プログラムに伴う課題のひとつに、選考に漏れて希望を失った候補者をめぐる課題が挙げられています。ある企業でCEO宛てに、「息子のプログラム参加を受けて、今度こそ有意義な職に就けるだろう、と期待を膨らませていただけに不採用の報に落胆した」という両親から手紙が届いた、というエピソードが紹介されています。最終的には、プログラムの管理者たちが候補者の両親と誠意を持って話し合い、問題は沈静化したといいます。このような事態は避けられず、慎重に対応しなくてはなりません。

上記のエピソードについて、私の推察ですが、必ずしも候補者の実力が劣っていたからとも言い切れず、現状では社会全体で候補者の数に対して企業の受け皿が圧倒的に足りていないことも、切実な訴えが出てくる要因のひとつではないかと思いました。候補者や両親が持って行き所のないもどかしさを抱えるのも理解できます。ニューロダイバーシティへの理解が浸透し、企業の受け皿がもっと増えることが望まれます。

私が日本の大手企業の発達障がいのある異能人財を採用するプロジェクトを取材した時、企業側からの要望もあって、その企業は「天才だけを選んでいる」のではなく「事務や研究開発補助など様々な職種で発達障がいの人がいる」という内容を記事に盛り込んだことがありました。こうした要望が企業側から出るのは、そのプロジェクトのあり方について様々な社内外の当事者がどのように感じるか、対話を重視している姿勢が伺えました。

上記の企業の担当者は、プロジェクト推進に「苦労もあったが、それを上回るものを得られた」と語っていました。私は、この先に可能性を感じました。採用された当事者がどう発展していくか、プロジェクトがどう発展していくか、楽しみです。

私もこれまでに、働く当事者、雇用企業、支援機関とつながり、情報交換や意見交換を重ねてきました。より質の高い情報を引き出したり、より質の高い記事を書いたりするため、発達障がいや障害者雇用制度や「障害の社会モデル」や当事者の権利擁護運動についても多くの勉強を重ねました。今回ニューロダイバーシティのコラムを書くことになって、私自身にとっても学ぶことが多くありました。 私が労力や時間をかけて地道に行ってきた情報のアウトプットが、ニューロダイバーシティ社会の実現につながれば幸いです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。