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2023/10/20

ニューロダイバーシティについて【コラム】

このたび、ニューロダイバーシティについてのコラムを担当する、長谷川祐子と申します。 このコラムでは、私自身が幼少期から学生時代を経て社会人になり、企業における障がい者の雇用問題の当事者になり、それを元にライターとして記事を書くようになるなど、発達障がいと社会のつながりについて感じてきたことをつづっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

経済産業省が令和3年度(2021年度)からニューロダイバーシティ推進事業を始めました。そのなかで経産省がまとめた調査には、デジタル社会における発達障害人材の活躍の機会を作る意義を説く野村総合研究所のレポートが引用されていました。2022年には産官学連携でニューロダイバーシティの認知を広げることを目指す「日本橋ニューロダイバーシティプロジェクト」が発足しました。

経済産業省のサイトでは、ニューロダイバーシティの定義がこのように述べられています。

ニューロダイバーシティ(Neurodiversity、神経多様性)とは、Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり、特に、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害といった発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく、『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念“

でもこの言葉の意味するものは、もっと深いんです。

日本のニューロダイバーシティ研究の第一人者の村中直人氏は、「ニューロダイバーシティは、元々は1990年代に自閉症スペクトラム障害の成人当事者たちが生み出した社会運動」と説明します。自閉症スペクトラム障害の当事者がインターネットでつながり、権利擁護運動を展開したニューロダイバーシティ運動がありました。

私なりの解釈ですが、ニューロダイバーシティの当事者運動に流れる思いは、「私は発達障害と診断された。でも何もかもが劣っているわけではない。ある特性が強みになることもある。それで世の中を変えることだってできる」というものでした。

私は大学時代に発達障害の自閉症スペクトラム障害(ASD)、旧アスペルガー症候群と診断されました。コミュニケーションに苦手意識を感じていました。発達障害のなかでも「積極奇異型」といわれるタイプで、「正直に言い過ぎ」「空気が読めない」などと言われました。 だけど、多くの人が思っていても言えないことを人前で指摘できることが、強みでもありました。私にはまた、文章を構成する力に秀でていたことや、「過集中」といわれるようなとことんはまりこむところがありました。

私が就職活動を考えた2000年代前半には、「ダイバーシティ」という言葉もなく、働きやすい職場環境づくりに力を入れる企業は今ほど多くありませんでした。発達障害の人が障害者手帳を取って障害者雇用で働くことはほとんどありませんでした。発達障害など関係なく、会社といえば年功序列、終身雇用、上の意向を汲むのが当たり前で、安定した会社で正社員になれなかったら人生終わる。そのなかでなんとかやっていくしか選択肢がない。そんななかで生きてきました。私は新卒で就職に至らず、試験勉強はできたこと、既卒でも採用されることから、公務員試験を受けました。難しい試験を通って、ある官庁の調査業務に就きました。

1年目は発達障害をクローズで働いていましたが、とても苦労しました。2年目に発達障害をオープンにしました。しかしそれで環境が改善することもなく、今の環境に合わせるしかなかったです。今から思えば適応障害に近い症状になりながら、休めず辞められず7年出勤を続けました。けれど続けられなくなり、退職を決めました。

その後、在職中から続けていた翻訳の勉強を続け、フリーランスの翻訳者を目指しました。ですが翻訳会社の試験はハードルが高く、仕事を取れないまま時間が過ぎていきました。そこで障害者支援の活動をしていた人の勧めで、障害者手帳をとっての就職に切り替えました。

日本の企業の障害者求人には、全てがそうではありませんが、仕事内容は事務補助や軽作業が中心、給与は最低賃金水準というものが目立ちます。そんななか、外資系企業の障害者求人の多くが、健常者並みの仕事内容や給与水準を示していました。そこで外資系企業を中心に応募し、その結果、外資系通信社に、初めて障害者枠で入社することになりました。それも念願だった翻訳の職種で、月給は30万円でした。

入社後は、「アメリカの上場企業の株価が動いた」などといった経済ニュースを翻訳する仕事に就きました。そこでグローバル視点でのビジネスジャーナリズムを通り、成長の機会を得ました。それとともに、私は会社が掲げるダイバーシティ&インクルージョンや社会貢献の活動に参加していました。障害者にインクルーシブな職場になるには何が必要かを話し合うイベントの企画に携わったこともありました。仕事を覚えるのに時間はかかっていましたが、これから伸びていき、ここでキャリアを作っていく、と信じていました。しかし入社してから「自分のペースで慣れていけばいい」と言われ、「仕事には厳しいが応援してくれている」と信じていたチームリーダーに、7か月経った頃に会議室に呼び出され、「翻訳を覚えるのが遅く、ほとんど間違えており、現場の負担が増えた。このままでは1年経っても要求水準に達することはない」などと口頭で伝えられ、同僚への挨拶や荷物の整理も許されず、オフィスから追い出されてしまいました。ロックアウト型退職勧奨、雇い止めです。ダイバーシティうたう企業で、診断書や障害配慮事項を提出し、ジョブコーチの定着支援を受けていたにもかかわらず、です。ニュースでは「日本企業はもっとESGを守るように、女性を活躍させるように」という論調なのに。入社時にお世話になった人事担当者が変わってから、状況が一変してしまったのです。

そうしてまた転職活動をやり直さなければなりませんでした。36歳になっていました。何十社も応募するが採用にたどり着けずにいました。役所や社会福祉協議会に行って生活資金を援助してもらったこともありました。高齢の両親にも多くの負担をかけてしまいました。私には「なぜこんなにも発達障害の人の雇用が進まないのか」という持って行きどころのない鬱屈した思いがありました。それを文章に書くことで、心の平穏を保つようにしていました。この頃に海外でニューロダイバーシティが盛り上がり始めているのを知り、それをリサーチして日本に紹介する記事を書いたこともありました。質の高い記事を書くため、障害者雇用制度や「障害の社会モデル」や当事者の権利擁護運動についても多くの勉強を重ねました。就職活動もしながらフリーライターを名乗り、不定期での寄稿や単発の案件をするようになりました。

今では、巨大グローバル企業を相手にしたジャーナリズムを展開するようにもなりました。企業は人権を守ったビジネスをしなければならない。働く側も企業に関してのキラキラした発信に惑わされず、何かあった時のことも考えなければならない。私が活動していくなかで出会ったひとりの発達障害の女性は、「合理的配慮を求めることは個人のわがままではなく、ましてや『かわいそうだから配慮してあげる』というものでもありません。合理的配慮は障害を持つ労働者にとっては、社会の側にある障壁をとりはらい、自身の能力を活かすために必要不可欠なものです。」と述べていました。いま私には、「私も障害者雇用で働いているが、職場の差別やいじめの実態を告発したい」、また障害者雇用に限らず「うちの会社の問題も記事にしてほしい」という声が寄せられるようにもなりました。私の発信することが、事実を集めて企業を見極める目や、個人が自分の権利を守るための知識を持てることの支えになりつつあります。

ジャーナリズムの世界はリスクが大きく厳しいものですが、社会を変える力があります。私は外資系通信社時代に通ったジャーナリズムを、障害者雇用の世界にも持ち込んでいます。例えば、ある企業で何か問題があった時には、その問題に関わる指標となる公的なデータを集める。そこから「変だな」と思った点を見つけ、データの裏にあるものを読み取る。障害者雇用率のデータ過去10年分を労働局に情報開示請求し、資料から不自然な点を見つけ、労働局職員から証言を引き出したことが記事化の端緒となったこともありました。オンラインで情報発信をしていき、さらなる情報も来て、さらなる新事実が明るみになったこともありました。それが連鎖していくことで、問題の認知が広がっていくことにもなりました。私はコミュニケーションで苦手意識を感じていましたが、口頭だけでなくテキストメッセージを多用し、そこに私に備わっていた文章力や調査力が加わることで、コミュニケーションの苦手さをかなりカバーできるようになりました。ITツールの発達やコロナによるリモートワーク化は、私にとって良い環境調整になりました。このことで取材対象者と良い信頼関係を築き、情報を聞き出せるようにもなりました。

この私の生きてきた道こそが、いまの社会課題です。同じ事象、同じ業界、同じ企業を見ていても、他の人には見えない事象や人が見えている。人々が目を背けてきたことにも、批判を恐れず発言できる。そのことこそが、いまの私の強みです

私は一方で、問題になっている事例ばかりでなく、当事者や企業が発達障害の人の「働く」に前向きになれるためにも、よい事例を伝えていくことは大切だとも考えてきました。よい事例を伝える記事も多く書いてきました。このコラムの他の記事では、そのことも書いていきたいです。